街角のバッハに寄せて

樋口 隆一

「バッハ・イン・ザ・サブウェイズ」というおもしろいイベントが、いま世界中で話題となっている。英語ではBach in the subways、つまり「地下鉄の中のバッハ」である。

ことの起こりは2010年3月21日、ニューヨークの地下鉄の駅で若いチェリストのデイル・ヘンダーソンが、突然チェロを取り出し、バッハの《無伴奏チェロ組曲》を弾き始めたことから始まった。この日はバッハの誕生日だったからである。

この一見無謀な試みは、たちまちのうちに音楽ファンの心を捕らえ、さらにはメディアにも注目されて、思わぬ広がりを見せ始めた。翌2011年、デイルは音楽家の友人たちを誘いBach in the subwaysという運動を発足させた。そして昨2015年3月21日には、世界各地40か国、150の都市の街角で、数千人の音楽家たちがバッハを演奏するという大イベントに発展した。昨年にはこの運動は日本にも飛び火して、東京を発信源として、神奈川、大阪、京都、奈良、和歌山、広島で28会場・379名以上が参加したという。

さて今年2016年は、3月19日(土)~21日(月)の3日間、バッハの331回目の誕生日を祝って世界中で開催される。これは完全なボランティア活動だが、昨年の経験から、全国的な実施を円滑に行うためには多少の組織と資金が必要となる。そこでこれまたボランティアのfacebookグループ「クラシックを聴こう!」の代表者・古瀬幸広さんが中心となってBach in the Subways Japan 2016 by classical.fan実行委員会を立ち上げたいという。おもしろそうなので、仲間に入れていただくことにした。

バッハというと、西洋音楽史を代表する大作曲家だが、彼にだって若くて無名なときがあった。当時のドイツでは、優秀な若者はみな教会付属の学校に入り、当たり前のように宗教音楽を歌っていた。週に何回かは合唱隊が町を巡回し、広場などで歌っていた。バッハ少年もそうやって音楽を学んだのである。

いまでもヨーロッパの町では、若い音楽家が度胸試しやアルバイト代わりに街角で演奏している。かなり上手な人もいて、終わると人々は拍手をして、箱に小銭を投げ込んでいる。若い音楽家を社会が支えているようで微笑ましい。

Bach in the Subwaysといっても、なにも地下鉄の中に限るわけではない。思い思いの場所を探してバッハを演奏し、通りがかりの人たちが気軽にそれを楽しめばいい。ともすれば敷居が高いと思われがちな日本のクラシック音楽にも、こんな試みをきっかけに新しい時代が来ればよいと願っている。

 

プロフィール

樋口隆一先生
実行委員長 樋口隆一先生

1946年東京生まれ。
慶應義塾大学文学部卒、同大学院博士課程中退。ドイツ学術交流会(DAAD)奨学生としてドイツ留学。テュービンゲン大学哲学博士。

専門領域はバッハとシェーンベルクを中心とする西洋音楽史。音楽学研究、指揮、音楽評論。

現在は、明治学院大学名誉教授、国際音楽学会副会長、DAAD友の会会長、日本アルバン・ベルク協会常任理事

2002年3月、長年にわたる研究、指揮、評論活動に対して、オーストリア学術芸術功労十字章が授与された。

 

クラシックを聴こう協会のBach in the Subwaysイベントでは、実行委員長を樋口隆一先生にお受けいただいています。